外部卓話 東京電力顧問 仲津真治様(取手RC会員) | |
2005年11月30日例会 |
「電気がいかに開かれてきたか?その節目を担った人々」 |
1. 古代 BC一千年頃、東洋で磁石の理が知られていた。 BC600年頃、ギリシアの七賢人の1人、ターレスが琥珀を摩や羽根をひきつける事を知っていた(静電気)。琥珀を意味するギリシア語「BLEKTRUM」は、今日の電気、electricityの語源となった。 2. 近世1600年、英国のギルバートが「磁石について」を刊行、電磁気学の科学書の嚆矢となる。エリザベス女王に講義し、電気の実験を披露した。地球が大きな磁石である事を見出し、羅針盤の理を解説、静電気を系統的に研究した。しかし、この後200年間の進歩も遅々たるもので、静電気の世界に止まったが、三つの大きな業績がある。 1752年、アメリカのフランクリンが有名な凧の実験を行い、雷が電気現象(雷雲による巨大な静電気の放電)であることを証明、避雷針を発明した。 1785年、フランスのクーロンがその発明した装置により、クーロンの法則を見出した。電気や磁気の力(引力や斥力)は、電気や磁気の量の積に比例し、距離の二乗に反比例すると言うもの。 1789年、イタリア(ボロニア)のガルバニーが、蛙の筋肉が金属に触れて痙攣を起こす現象を発見、摩擦以外に方法で電気が得られることを人々に知らしめた。ちなみにGalvaniの名前は電気を意味する、もう一つの言葉「GALVANIK」の語源となっている。 3.近代ガルバニーの業績を称えつつも、その説明に満足しなかったイタリアのボルタが、より体系的な検証を行い、理論を構築、その実験の意義を世に明示した。更に、ボルタは電池を発明、持続的に電気を取り出すことを初めて可能にし、そのことを英王立学会に論文として発表、静電気に止まらない動電気の時代を切り開いた(1800年)。ここに電気の近代が幕開けた。 1・1820年、デンマークのエルステッドが電流によって熱や光のみならず、磁気が起きる事を発見した。電気と磁気の間に関係があることが初めて証明されたのである。この発見はのちに英王立学会が顕彰した。 2・同じ年、エルステッドの業績を元にフランスのアンペアが電流と、それが周囲に生み出す磁場との間の法則を見出した。背景にナポレオンの英明があり(メートル法の制定、エコール・ポリテクニークの創立) 3・1827年ドイツのオームが電圧と抵抗と電流との間の定量的な関係を明らかにした。このオームの法則は1841年に英王立学会により初めて承認された。 4・1831年、英国のファラデーは今日の電気工学の基礎となる電磁誘導の現象を発見した。磁場に電流を流すと、何もない隣のコイルに電流が流れ出すという誘導電流の発見である。これは遠隔作用の考え方を排し、今日に繋がる「場」という概念を確立させた端緒である。 5・1835年、アメリカのモースルが電流による信号を遠方に伝える方法を実用化、電気や磁気を通信に応用することに初めて成功した。電信の発明である。しかし、事業化には苦労し、特許を巡る争いもあって、1844年に至り初めてモースル符号による英文がワシントン・ボルティモア間を伝わった。 6・1841年、ドイツの大数学者であり天文学者であるガウスが、地磁気の体系的な観測に成功、その絶対的な単位を確立、地磁気学の一般理論を樹立し、ニュートンの力学に匹敵する功績を挙げた。 7・1864年に至り、英国のマックスウェルはファラデーの電磁誘導で唱えられた「場」の考え方を発展させ、これを数学的に体系化、電磁波の理論を確立した。これにより、既知の光に繋がる電波の存在を予言したのである。波長の長い電波から、波長の短い光波、さらに短いX線、ガンマ線に至る全てを透徹した電磁波の考え方が定立され、後年電波が発見、今日の電波工学の隆盛に繋がっている。 8・1876年、アメリカのグラハム・ベルが電話を発明した。モールスの電信に遅れること40年、音声を電気に変換して伝えることの難しさを示しているが、電磁石がこれを可能にした。この発明は諸外国にも衝撃を与え、電話事業を生み、今日世界中の電話が相互に繋がる時代へと発展する端緒をなしている。 9・1879年、アメリカのエジソンが電灯を発明した。エジソンはベルと同じ1847年の生まれで、数多くの発明を成し遂げた偉大な発明王であるが、事業家としては大成しなかった。しかし、電灯の発明は電気が電信・電話のみならず、電力として使われる道を開いた画期的なもので、現代の電気文明の本となるものである。もっともエジソンの発明は、動電気の中でも当時実用化されていた直流にほとんどよっていたので、理論的存在から、その後実用化されるに至った交流に取って代わられていった。それを主導したのは、ライバルのニコラ・テスラである。尚エジソンは、1893年に映画を発明し、今日の映像文化の基礎を築いた。 10・同じ1879年、ドイツのジーメンスは電車を実用化している。既に登場していた鉄道に電気が動力を供給する道をつけた重要な発明で、エジソンの電灯の功績に並び称せられる。これに先立ちジーメンスは1866年、発電機を実用化しており、科学者に止まらない事業家の才覚も持ち合わせていたようである。また、この発電機や電動機(モーター)について、運動、磁場の方向、電気の方向の関係をわかりやすくまとめた、フレミングの左手や右手の法則が名高いが、1884年のロンドン大学での講義で学生向けに使い始めたものだと言う。 11・1888年、ファラデーのアイデアに始まり、マックスウェルの理論で予言された電磁波の一種、電波が遂に発見された。ドイツのヘルツがカールスルーエで行った実験によってである。ヘルツは37歳で若死にしたが、その不滅の業績はヘルツという周波数の単位に刻まれている。 12・次いで、1895年イタリアのマルコーニが電波による通信を可能にする実験に成功した。実用化は1897年から英国で行われ、1899年英仏海峡を横断、1901年、大西洋横断を達成した。この新しい通信方法の出現は世界を驚愕させた。 13・他方、同じ頃それまでこれ以上分割出来ないと信じられてきた原子がより小さい粒子からなることを英国のトムソンが明らかにした。1897年の電子の発見である。これが真空管から半導体の発明・発見に繋がり、今日の電子工学の源となっている。電気は主として、この電子が引き起こす現象であり、磁気もそうだということが後年判明。 4.現代20世紀の初めの頃、近代の自然科学、とりわけニュートン以来の物理学を大きく書き換え、人類の世界観に決定的な影響を与えた論文が書かれた。1905年のアインシュタインによる特殊相対性理論の発表である。ここに、新世紀が開かれ、現代が始まると言っても過言でない。 ①しかし、後の1921年、アインシュタインにノーベル賞が授与されたのは、1905年の光電効果に関する論文による業績の方だった。これは、金属の表面に光(正確に言うと、より広く電磁波)を当てると、電子が飛び足す現象についてかかれたもので、アインシュタインが電気の世界でも実績を残している事が分かる。ついて、アインシュタインは、1915年に一般相対性理論、更にこれを発展させた統一場の理論を1929年に発表している。 ②アインシュタインの相対性理論によって予言された原子エネルギーは、質量とエネルギーの等価性、相互変換性を基礎としたものであるが、その解放者として最もよく知られているのは、エンリコ・フェルミである。イタリアのローマ大学の教授で科学者であって、超ウラン元素の存在を予言するなどの業績に対し、1938年にノーベル賞を受けたが、その帰途、帰国せずアメリカに亡命、マンハッタン計画に参加することとなった。1942年、フェルミの指揮指導の下、シカゴにてウランの連続連鎖反応に初めて成功、原子エネルギーの利用の緒が得られた。この反応を減速して持続的にエネルギーを取り出すようにしたのが今日の原子力発電である。 ③フェルミのパートナーであり、原子核の研究に大きな功績があったのが、アメリカのアーネスト・ローレンスで、1930年に最初のサイクロトロンを発明している。安定し結合度の極めて高い原子核を破壊して、いろいろ研究することは盛んに行われており、それに有効なのは粒子、とりわけ軽いイオンであるが、これを加速し高度の高速を得る装置がサイクロトロンである。これにより、ローレンスは1938年にノーベル賞を受賞している。また、ローレンスは、カラーテレビの受像管として有名なローレンス管(商品名:クロマトロン)を発明している。 なお、近世から近代に至る中で、日本には電気の科学や技術に寄与できた人物はほとんど出なかったが平賀源内、橋本雲斎、佐久間象山などが、江戸時代の後半、西洋のエレキテルを輸入、率先研究した。しかし、何れも迫害を受け、牢死や暗殺などの目にあっており、日本と欧米の時代や文化・精神の相違を物語っている。 |