鈴木邦彦会員卓話:2000年9月27日例会
 
職業分類:小児科医
鈴木内科小児科医院 院長
 「クラブ創立記念日を迎えて」

 今日はR情報委員長と言うことで、クラブ創立当時の話をさせていただきます。

 先程、ガバナーエレクト事務所開所式のことが出ておりますが、当クラブ創立37年経ちますといよいよガバナーを出すクラブに成長したのかと思うとき、感慨ひとしおのものがあります。

 水海道クラブの創立は1963年(昭和38年)9月25日となっています。

 そして国際ロータリーに加盟承認されたのが、翌1964年1月28日、加盟認証状伝達式(チャーターナイト)は同年5月17日に、県立水海道一高を会場にお借りして行われています。

 当時の記録は殆ど残っていませんが、偶然その頃の資料を見つけましたので、それを基にお話をしたいと思います。

 初代会長は石塚竣さんと言う方で、市内羽生町にお住まいになっていました。この方は、旧朝鮮総督府に勅任官技師として勤められ食料長官などもなされておりました。

 退官後は京城RC(日本で7番目に出来たロータリークラブ)の会員にもなられておりました。多分、ロータリーの経験があることから会長に推されたのでしょう。また、結成に当たっては常陽銀行さんの尽力も大変なものであったことを伺っております。

 このことについては、30年記念誌掲載「チャーターメンバーによる座談会」にも記事が載っていますので、ぜひ読んでみてください。

 こうして水海道クラブは34名の会員で構成され発足し、スポンサークラブは土浦クラブになっております。私の手元にあるチャーターナイトの資料によりますと、挨拶文の中にスポンサークラブは土浦RCと竜ヶ崎RC両クラブにお世話になったとあり、また伝達式の来賓の所に土浦RCの細野勝久氏と竜ヶ崎RCの小野瀬快彰氏両者のお名前が書かれてあります。

 ガバナー公式訪問報告書では「スポンサークラブ…土浦RC」・「特別代表…細野勝久氏」とあり、くい違っております。これはおそらく竜ヶ崎RCから特別お手伝いいただいたことから、そう記録されたものかもしれません。

 当時の水海道クラブは355区に所属。355区は新潟、群馬、栃木、茨城の4件で地区が構成されていたようです。その時のガバナーが小野康平さんという方でした。

※後に、栃木・茨城で2550地区になり、1991年に栃木と茨城が分割し茨城地区は2820地区となる。

 チャーターナイトには茨城のクラブでは10クラブを招待しております。

 クラブ名を挙げると、水戸、水戸西、那珂湊、石岡、竜ヶ崎、土浦、日立、常陸太田、笠間、下館となります。このことから考えてみると、水海道クラブは県内で11番目のクラブではないかと思われます。

 当時の会員について申しますと、会長・石塚竣さんの他に、副会長・須田誠市、幹事・山中喜、副幹事・荒井敏夫、会計・吉田信次(常陽銀行支店長)、SAA青柳泰太郎、そして理事に落合庄次・片倉力・鈴木春吉・染谷秋之助の各氏といった錚々たる方々でした。※以下、会員の紹介があるが略。

 当時は、今のように会報が発行されておらず記録が残っていません。その代わり、生きた資料と言いますか、当クラブのチャーターメンバーである隅屋会員がおられます。

 このあと隅屋さんよりお話を頂きます。生のお話が聞けるかと思いますので、どうぞご期待くださることをお願いし、私の話を終わります。