鈴木邦彦会員 2011.9.28          Topに戻る
 
「水海道ロータリークラブ創立記念日に因んで」」
 私たちのロータリークラブは来年、創立50周年を迎えます。

 1963年(昭和38年)9月25日 仮クラブとして発足、1964年(昭和39年)1月28日 国際ロータリーに加盟承認。1964年5月17日 国際ロータリー加盟承認伝達式を挙行する。チャーターメンバーは34名であった。

 設立の過程は、片倉 力氏の言によれば、昭和38年土浦ロータリークラブの代表の方々が、常陽銀行水海道支店に来られて、落合市長と片倉 力氏にロータリーについて話をされ、ロータリークラブを水海道に設立することを勧められる。

 一方、鈴木春吉氏が親しかった水戸ロータリークラブで第二代会長、渡辺覚造氏より、ロータリークラブ設立の要請があった。しかし当時皆ロータリーの知識がなかった。

 たまたま、朝鮮の京城ロータリークラブの会員であった、石塚 峻氏が郷里に帰っておられたので、石塚氏を中心に、落合市長、鈴木春吉氏、片倉 力氏、前市長須田誠市氏、山中 喜氏が相談し、ロータリークラブ設立に向けて町の有力者の方々の賛同を得ることが出来、設立の運びとなる。

 初代会長 石塚 峻氏は、1938年(昭和13年)5月15日、16日にソウル(当時京城)で行われた国際ロータリー京城大会に京城ロータリアンとして出席されている。

 水海道ロータリークラブ創立者の一人として、初代、二代の会長を務められ、クラブの基礎を固められた事は極めて意義深い。

 しかし、皆ロータリーについて全く知識がなく、土浦クラブの会長 奥井治兵衛氏、幹事の飯沼良治氏、事務局長 森 洋之助氏にクラブ設立に向けての御指導を色々と頂いた。生れ出ずる悩みがあっただけに、諏訪会館で行われた創立総会は楽しかったようです。

 草創期のクラブ運営は、試行錯誤を重ねたようです。「ひと口に言うと、いい加減だった」と、今は亡きチャーターメンバーが述懐していた。例会の司会進行は、会長一存で行われ、厳しい出席を補う為に身内の者や会社の人を代理出席させた会員もいたようです。

 しかし、出席率向上を目指して、創立3年目には、例会出席100%達成のため、集団メーキャップを行い成果をあげに他クラブにメーキャップすることにより、親交を深めそのクラブの例会から色々学び、クラブ運営の参考になった。

 創立後3年間は、ガバナー事務所への報告書作成や会員への諸連絡等は一切幹事が行い、公式訪問の報告書作成も幹事の仕事だった。

 4年目に事務局がおかれ、これらの仕事から幹事は解放されることになる。事務局が設置されて、ロータリー活動が軌道にのり、クラブの内外の視野が広がり、ロータリーの運営も次第に安定に向かう。また、クラブ週報も発行されるようになる。

 クラブ創立当初は、ロータリーとは如何なるものか理解できない人たちの集まりであった故、例会の昼食時に酒をたしなむ会員がいたり、出席が厳しいため代理出席をしたりしたということを聞くにつけ、当時の会員たちの気概を感じる。

 また、チャーターナイトの際、会員夫人が全員同じ柄の帯を新調し、和服姿で出席し、来賓の方々の接待にあたられた。

 創立3年後には、水海道消防署に、救急車1台を贈車した事实にクラブの会員であった当時の水海道町の旦那衆のプライド、ステータスを感じる。

 創立5年後には、境クラブの創立をスポンサーになり、クラブ拡大に意をつくす等、当時会員の心意気に圧倒されるとともに敬意を表する。

 クラブのチャーターナイトを迎えるに当たり、朝霞ロータリークラブのチャーターナイトが自衛隊朝霞駐屯部隊の体育館で行われ、その模様を会員10数名がメーキャップを兼ねて見学、参考にした。

 隅屋会員のお父さんは、立川ロータリークラブの会員であり、隅屋会員の案内で朝霞ロータリークラブのチャーターナイトにメーキャップに行ったそうです。

 ロータリーがどんなものであるか、よくわからないながらも、全会員一丸になってクラブの誕生に情熱を傾けた。
 

                   Topに戻る