武藤康之会員の卓話1999年3月17日
職業分類:LPガス小売
(株)釜久本店
代表取締役


 「国旗にまつわる話・他」

 最初の例会の時、私の所属がSAAということで斎藤SAAに何時に来たらよいかを伺いました。11時半ごろ来て欲しいとの事で、その時間に来て最初にやったことが国旗とロータリー旗を掲示することでした。

 旗を飾りながら「また、旗か」と思いましたが、その意味をご存知のない方が多いと思いますのでお話しいたします。

 私は10年ほど前、ある場所である集まりがあり、旗の飾り付けをしました。何となく集会は終わったのですが、日の丸と他の旗とを逆に掲示してしまい、最後にそれを指摘されました。

 そして、何で客席から向かって左側が日の丸で、他の旗は右になるのかをコメントされた方から懇切丁寧に説明していただきました。したがって、この事は一生、私にとって忘れないことです。何故かというと、その話は昔の日本の武士の生活を例にとっての話だったからです。

 武士は刀を左腰に差し、右手で抜く。上司と歩いている時、突然敵に襲われることもあります。その場合、武士は左腰に刀を差していて右側で抜く、上司が左側にいないと、さっと抜いた刀が上司を傷つけてしまうこともあります。

 ですから、上司は左側にいるようにしなければならないと。・・・だから左側の方が偉いのだというように説明されました。それ以来、旗の位置については間違いのないように心がけています。

 もう一つ、旗で失敗したことがあります。これも、ある会合で、旗を持って外に立ち、そこで旗の掲示をし、自分達の会合の場所に入った時、その旗が無くなってしまった事があります。じつはこれは私の不注意が原因で起こったことなのですが・・・。

 この時もある先輩から言われました。明治の世に乃木希典大将がおり、その人が西南戦争の時、官軍として出陣し西郷軍に国旗を奪われてしまった。それから以後35年間も陛下に申し訳ないといって大葬の日(明治天皇崩御の)奥様と共に自害してしまう。

 つまり、旗をなくすことは、そのくらい大切なことだからお前も切腹しろ・・・。このように旗については忘れられない2つの思い出があるのです。そんな訳で「また、旗か」と思った次第です。

 ※以下、「ロータリーに入会してから感じたこと」「人前での話し」「青年会議所時代の思い出」等の話しがありましたが割愛します。

                                   
週報からの転記