松坂興一会員 2011.10.26          Topに戻る
 
「ロータリー雑感(近ごろ思うこと)」
 前回の卓話が時間の都合で、中途で終ってしまいましたが、週報には掲載されました。

 皆さんお読みに為られたことと存じますが、今一度ロータリーに対する私の考えを、述べさせて戴きたいと思い、再度の登場ということになりました。

 当然もう充分だと多数の方々が、お思いでいらっしゃると思いますので、どうぞお休み頂き、お気軽にお聞き戴ければと存じます。

 たしか前回は、最後に”水海道ロータリークラブ万歳”と叫んで終わったと思いますが、何故<万歳>なのか、その経緯については、お話しする時間が御座いませんでした。

 そこで今回は、その前段についてお話いたしたいと思います。

 私が当クラブに入会いたしましたのは、今から33 年前の1978~79 年度であった事は、お話いたしました。

 この時私は41 歳でありましたが、事業として水海道厚生病院を設立いたしましたのは、10 年前の1968 年31 歳のときでありました。従いまして今日に至る33 年間に渉るロータリアンとしての生活は,ほとんどといって、実業人としての生活と重なるものでした。

 私にとりまして、ロータリークラブとは単なる奉仕団体なぞではなく、まさに人生に於ける修練の場であり、自己研鑽の場でありました。

 もともと私自身振り返って見れば、欠点だらけの人間で我儘で、その上傲慢無礼、人を人とも思わぬ処があり、まこともって許し難い人間でありました。

 然しながら、入会以来今日に至るまで、ロータリーに居ることで、教えられたことは数限りなく、それが貴重な道標となり、常に足元を照らしつづけてくれました。

 元来実業人・職業人の代表でもある集まりのロータリークラブでは、仮にその人の言動が、不適切あるいは不当のものであっても、直接的には当人に対して誰も非難がましい事を申す人はいないでしょう。

 それ故に、過信してしまうこと、あるいは自己欺瞞に大変陥りやすいのであります。
考えてみますと、ロータリーは大変恐ろしい処でもあるのです。従って常に求められるものは、謙虚さであり、謙譲であることが美徳とされる所以であります。

 完成された人間なぞ、めったに居るものではありません。

 ロータリークラブも然り、不完全な人々の集まりでもあります。ロータリーの有効性というものは、先ほど申したように、欠点について、誰もなかなか指摘してくれない為、常に己の言動を自らチェックしなければ、ならないということです。

 ロータリークラブには様々な職業の方々がおります。

 この方々こそ、ある時は教師であり、又ある時は反面教師となってくれるのです。

 ロータリーは恐ろしくもあり、又素晴らしい教室でもあるのです。心の持ち方一つで、向上心さえあればこれ程有用なものはありません。大いに利用すべきであります。

 今一つロータリーの有効性は、ロータリアンとして知り合うことが出来た多くの人達の存在であります。

 私にとりましては、掛け替えのない貴重な財産であります。

 今私はロータリアンであることを、こころから誇りに思っております。 そしてこの後“水海道ロータリークラブ万歳”と続いたのであります。

 ここまでが前回の卓話の部分でありました。

 さて、昨今のロータリーについては、如何でしょうか。
御承知でしょうが、国際ロータリー(RI)はロータリークラブ(RC)よって構成された連合体であります。

 そしてRCとは、RI定款および細則に従って結成された、クラブという訳です。
クラブがRIに加盟するには、クラブ定款として、標準ロータリークラブ定款および推奨ロータリークラブ細則を採択せねばなりません。

 ただし例外があって、1922年以前に結成されたクラブは、独自の定款、細則が認められております。日本で申せば、大正11年以前ということになります。

 私達ロータリアンは、RIのメンバーではなく、RIに加盟している処のRCの構成員ということになります。

 RIは全世界のRCの連合体であり、その目的、使命というものは、他者への奉仕であり、高い倫理基準を持つ実業人、専門職業人すなわち地域のリーダー間の親睦を通して、世界理解、親善、平和を推し進めることであります。

 従って、お解かりと存じますが、奉仕を志す人達で構成されているのがRCであり、唯単に奉仕団体のメンバーであることが、ロータリアンでは無いのです。

 I saveこそがロータリアンであって,決して We save ではないのです。

 己が奉仕するのであって、集をなして成す事では無いのです。それ故に、非常に高い倫理観を持つ為の、品位が求められる訳であります。

 個人生活、事業生活、社会生活と、何時いかなる場においても“奉仕の理想”を適用することが求められるのであります。

 このように全てにおいて、厳しい基準が要求されるRCの総本山がRIなのですが、近頃異変が起きた様に思われるのです。

 私自身の感じているところを、言わせて頂くなら、本来あるべきロータリーの思想とは、大きな隔たりを、感ぜずにはおられません。

 先々週でしたか、職業奉仕について、清水パストガバナーの卓話がありましたが、その中で“奉仕の理想”についてロータリーは哲学であると述べられておられましたが、ロータリーの目指すところは“哲学”であると私も思っております。

 では“哲学とは何ぞや”と申せば、辞書を引いてみると哲学とは“諸科学の基礎づけを目指す学問であり、人生の根本原理を追求する学問でもある”とあります。

 ロータリーが掲げる究極の目的“奉仕の理想”は人生に於ける根本原理の追求とまったく同一線上にあり、哲学そのものと申す事が出来ましょう。

 然しながら、最近のRIが次々に打ち出してくる提案・決定には、どう考えてみても大きく道を外しているとしか思えません。組織の巨大化がもたらした、弊害であるとしか思えません。

 確かに創立時とは時代も大きく変わり、人々の価値観も又考え方も全く変わったと申せましょう。

 然しながら究極の目的と掲げた“奉仕の理想”の哲学は決して、変わることは、無い筈であります。RIが求めているところは、唯ただ組織の拡大と会員の増強しか、念頭にない有様に思えてなりません。

 勿論組織であるが故に、増員も拡大も必要でありましょう。

 然しながら、それには或る節度が、無ければならないはずであります。この節度こそロータリーを高みに置いているものと、思うわけであります。

 このことこそが、地域にあって、ロータリークラブの存在が認知され、また地域におけるステータスとしての存在でもあった訳であります。

 従ってロータリアンは、選良としての認識を持ち、自らの言動について責任と謙虚さを求められた訳であります。

 この様な高い次元での要望に答える為に、我々は常に努力いたして居る訳であります。

 この認識こそ、ロータリアンとして誇りに繋がるものと、思っております。

 奉仕事業を行うにあたり、資金の必要は当然であり、その為の寄付は十分承知致しておりますが、余りにも資金需要の重点を置くがあまり、本来のあり方を忘れ、例えばポリオ資金のビル・ゲイツ氏からの資金提供を、無条件で受け入れる等、従前では考えられない事が行われております。

 まるで拝金主義そのもの如く、思えてなりません。

 苦言ばかり申している様で、私自身心苦しく思っておるわけですが、北村会員はパストガバナーとして、第一ゾーンのコーディネイターを引き受けられ、大きな貢献を成されておる訳ですが、現今のRIの動向について、どのようにお考えなのか、又クラブの方向性についても、どの様にあるべきかご指導戴ければと、思っております。いずれ充分に時間をとっていただき、ご教示頂けるものと期待致しております。

 さて当クラブも、来年いよいよ創立50周年を迎えることと成りました。

 先だって鈴木先生の卓話で創立時のお話を伺い、興味深く聞かせて頂きました。いかにも当地に於ける、ジェントルマンの集まりとも、或は歴史ある街の旦那衆とでも申しましょうか、実におおらかで、これぞロータリークラブであるとの、素晴らしいお話で有りました。

 私の入会は16年後でありますが、まだチャーター・メンバーの方々が、多数在籍致して居り、創立時の雰囲気がまだ残っていた様に思えました。

 今日に於いても、古き良き時代の雰囲気は、伝統的に綿々として受け継がれており、地区においても一味違ったクラブとして評価されておる訳であります。

 従って創立50周年記念式典と記念事業は内外共に大きな評価を、得られるもので無ければなりません。

 幸い満を持しての、青木正弘会長年度で有り、鈴木 豊実行委員長のもと、各委員長も決まり、あとは動き出すばかりと成っており、一安心であります。

 当クラブは真に多士済々、人材には本当に恵まれております。会員が一丸となって、事に当るならば素晴らしい記念式典・記念事業ができるものと期待致しております。

 私も一員として、参加できることを、名誉に思っております。私たちは此の50周年を契機として、希望に満ちた新しい一歩を踏み出してまいります。

 以上をもちまして私の卓話とさせて頂きますが、最後に一言

 水海道ロータリークラブは永遠です!
 

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