石塚克己会員卓話:2004.4..3
職業分類:幼稚園経営  
(学)きぬ学園きぬ幼稚園 理事長・園長
 
 皆様、こんにちは。先ず、常日頃、職場で子ども達や保護者を前でのスピーチや話しは、ざわつく前に如何に、短く要点を伝えるかなのですが、本日の時間は30分、こんなに時間をいただきましたことは初めてです。

 貴重な時間を拝借し責任重大と感じております。言葉足らずの面も出てくるかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。

 年間例会プログラムによりますと国際奉仕月間フォーラムということです。国際奉仕委員長として、又とない機会ですが、まだまだ勉強、経験不足で自信がありませんので<国際大会参加プロジェクト>の現況とこれからの流れを説明し、残りの時間は個人的な話しにさせていただきます。

○第1次募集で18名の会員、5名の会員のご夫人の登録をいただきました。現在3月15日締め切りの第2次参加希望を募っていますが2名の会員の申し込みをいただいております。

 先に配布した案内書では東京駅までの、帰りの移動手段は高速バス、タクシー分乗としていましたが、秋田幹事と相談し、委員会の予算もまだ殆ど使っていない状況ですので、行き帰り共、バスを貸し切ることにしました。

 宿泊は京都になりますが、お宿の手配については熊谷会員にご協力をいただくことになりますが、京都駅からの移動手段、観光めぐりについてもこれから綿密に調査、手配することになります。その点において国際大会参加委員会の第2回目の会合を2月中に開催したく存じますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

 さてこれより、個人的な話に入ります。
○日々の仕事の中で感じたことを率直に述べさせていただき、後半は音楽の話題を取り上げてみたいと思います。

 少子化の中で・・・私立幼稚園を取り巻く環境は大変、厳しいものがありますが殆どの園でも定員割れという現実、リサーチの段階でも入園対象児が年々、減少しています。当幼稚園も同様で特に、菅原地区、大花羽地区小学校の学級減は顕著で、当然入園児も減少の傾向にあります。

 あわよくば市街化調整区域という線引きがなくなり、家が出来、人口も増えればと願っていますがなかなか難しいのが現実です。そんな中、一番バスで元気に登園する子どもたちに会うと、そんな不安がどこか飛んでしまいます。

 家庭でごたごた、夫婦喧嘩などをして気分が晴れない時、子ども達に会うと何時までも塞ぎこんでいられないほどの強烈なエネルギーをもらいます。あどけない表情で「園長先生、遊ぼうよ、ほらこっちに来て、見てよ」。

 私も負けじと「こんな子ども達の様子をご家庭にたくさん配信したい」とデジカメを片手にショットの連続。今こうして自分があるのは「子ども達やご父母のおかげ」ということを肝に銘じ、感謝する日々です。

○子ども達からのメッセージ
共に感動することを忘れない(常日頃、これだけはと、心がけていること)。

 得意なことを見せたがる。「ほら見て、」縄跳び、鉄棒、製作。ここで私たち大人がやっていけないことは「ちょっと待って、今忙しいから後でね」「ぁそう!」と聞き流すこと。必要以上に子供たちが成し遂げたことをその場で評価し、驚いて、褒めてやらなければいけない、これが大事です。そういう意味で、幼稚園の先生は役者揃いで、劇などやらせたらそれはもう、爆笑の渦です。

 素朴な疑問にどう答えるか「何故?」への答え。ゴミが捨てられている通学路、それが当たり前になるのがもっと怖い。ゴミを平気で車から捨てていく現実がある限り、なかなか世の中、よくならないぞという、率直な結論で仕事の話は終わらせていただきます。

○音楽の話
さて、後半はクラシック音楽を取り上げてみます。

 車の中のカセットテープが歌謡曲やポピュラー曲からクラシックに変わったのは何故でしょうか。それは約7年前に始めたピアノが原因でした。娘のピアノ教室の門をたたき、基礎から始めたピアノ。それではこの曲をお聴きください。

 そのクラシックの中で、ある作曲家のピアノ曲を3度弾いて、心底、好きになりました。それは誰か・・・こんな紹介があります。
「一見コワモテで近寄りがたそうだけど実は人情味があってちょっとこっけいなところもある。そのイメージは<楽聖>だの<不屈の人>だの、まさに<堅苦しいクラシック>の象徴みたいなところがあって、ちょっと威圧的で近寄りがたい。あの肖像画、モジャモジャ頭のいかつい顔がギロリと眼をむいてにらんでいるその名も、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーベンです。

 1770年、旧西ドイツの首都・ボンに生まれ、宮廷歌手の父ヨハンに音楽教育を受けました。当時、ヨーロッパには神童と言われたモーツァルトがいました。彼に対して父親の対抗意識は並々ならぬものがあり、その上父親は有名な音楽家ではなかったのでベートーベンを神童に育てようと考えていました。ピアノの分野でめきめき腕を上げたベートーベンは10代で「悪魔の指さばき」と評されるようになりましたが、母をなくし、お酒におぼれて失職した父に代わって一家の(弟2人)の面倒を見なければなりませんでした。

 生活貧しい人生前半を宮廷勤務、後半人生は他国への演奏活動、弟子の教育や依頼作品による報酬、演奏料、作品の出版印税等で生計を立て、人生の終わり頃には自由な音楽家として生活を送っていました。

 そんな彼も2つの苦悩が常に取りまくようになりました。当時の音楽家、作曲家の社会的地位は低く、宮廷貴族へのコンプレックスは並々ならぬもので、同時に顔立ちの整った女性への思慕、10も20も離れた年下の女性への思いは強く、それも実らぬ恋の遍歴でした。ここに女性への思いを込めた象徴的な曲を2曲紹介します。


 ピアノソナタ月光、エリーゼのために
前者は「テレビサスペンションドラマ」でよく流れたり、後者はこれこそ有名な曲、エリーゼと言う女性は「テレーゼ」という説も有名です。とかくマイナーな曲想と思われがちですがベートーベンの曲には、他の作曲家にない独特の美しい旋律があります。

もう一つの苦悩は難聴でした。30歳前後から聴力が薄れ、更に原因不明の下痢に悩まされ、晩年には殆ど聴力がなかったのです。音楽家、作曲家にとって聴力を失うことはいかなるものか、想像に絶します。時に自殺を考えながら音楽史上に残る名曲を次々と創作した情熱にも頭が下がる思いです。

そんな時代に生まれた名曲を紹介します。交響曲「田園」
彼は失われてゆく聴力を感じつつ、小川や田畑、森の中をさ迷い歩きながら曲のイメージを築きあげました。

 「交響曲第5番運命・第6番田園」・・・これを作曲した頃のベートーベンは極限の中で最も強いアドネラリンを発散していたのかもしれません。

 1827年3月26日、午後5時45分、56歳と3ヶ月の人生を終えました。

 「弟の妻と看護士の見守る中、5時過ぎあたりに、すさまじい雷が鳴り響き、彼の部屋が一瞬の稲妻の光で照らされる。その瞬間、ベートーベンは両目を開き、突然右のこぶしを振り上げた。そのまま数秒の間、険しい表情で空を見つめていたが、手が下ろされたとき、もはや、その目は半分閉じられていた。」

 最後に・・・交響曲第9番<第4楽章>
これは人類史上の名曲と言って過言ではない、と思います。世界中でこの曲をこよなく愛し、そして口ずさむ人が一番多いのは日本と言われております。

 ご静聴、ありがとうございました。