海老原良夫会員 2012.4.10          Topに戻る
 
「先輩会員の遺稿を読んで」
はじめに
 紀元前(クラブ創立以前)昭和26年『文化茨城』大75号に石塚 峻・長岡健一郎の人物紹介記事あり。クラブ創立50周年の創世記を彩った先輩には、鬼籍に入った会員も少なくない。

 もはや遺稿の中でしか聞く事できない先輩からの「伝言」に耳を傾ける。

 ※五木田伊右衛門(明治43年2月13日生)は昭和58年『歴史みつかいどう』に「水海道体育協会のあゆみ」と題した玉稿を遺している。五木田は
 ①『体育の歴史は、人間の生きてきた歴史である。スポーツ、ダンス、レクリエーション等の諸活動は、生きるための、生きる喜びを味わい、苦しみを和らげるものである。

 体育活動を通して、その時代の人々の営みを明らかにすることは、私たちの今日を、そして明日を如何に生きるかに対し、一つの示唆を与えてくれるに違いない。水海道体育協会が設立されてから六十有余年の歳月が過ぎ去ろうとしてする。

 私達の先輩が幾多の障害を乗り越え連綿として今日まで続いてきた足跡は、高く評価されると思う。と同時に、極めて複雑化した現代社会における体育協会の本来の在り方を問うとすれば、歴史の営みの中に本質と来なものがあると考え、敢えて筆をとった次第である。』として起筆、・・・・中略・・・・

 ②『若人の汗と涙、歓喜と栄光そして青春の炎を灯したあの水海道グラウンドも、幻の如くわずか七年で、その幕を閉じたのである。あのグラウンドで活躍した人々の頭に去来するものは何であったか。』
・・・・・中略・・・・・

 ③『体育活動は、人間自信のものであり、人間生活の営みの中で重要な位置を占めていることは疑いない事実である。高齢化社会を迎え、健康で明るく豊かな市民生活を築くことが時代の要請ならば市民ひとりひとりの健康に対する自覚はもとより体育協会の果たす役割も一段と厳しいものと受け止めている。』として擱筆した。五木田はこの論文を遺してのち2年後の昭和60年6月23日没、享年75歳であった。

=敬称略※

 ≪平成委25年4月10日≫五木田先輩が体育活動の本質を論じてから31年目の春が巡ってきた。かつて橋本町に建設され、幻の如くわずか7年でその幕を閉じた水海道グラウンド。今はもう、幻を語り継ぐ古老も少なくなってきている。

 野球大会の優勝旗を寄贈した鍵屋呉服店は横町(現・栄町)大通りにあった。その家屋敷も縁の人も今は無く、北関東随一の呉服卸商と称された豪商をはじめ、明治、大正、昭和の時代に、この地を耕し続けてきた横町旦那衆のノブレス・オブリュージュの語り草だけが、かろうじて、息づいている。

おわりに

 時代の空気や人々の思いを伝えた、先輩会員の遺稿は人生の機微と至言にあふれていた。ロータリアンとして、地域の各界の指導者として生きた諸先輩の人生を思えば言葉はがぜん、重くなる。
 彼らの遺稿は私たちを深い省察に誘う。
≪平成25年5月26日。泉下の先輩と次代を受け継ぐ後輩の耳目が集まる佳き日。≫
 

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