雨谷道夫会員会員 2010.11.24          Topに戻る
 
金属リサイクル(鉄屑)について
 1.鉄屑の発生源及び集荷について
・建物の解体物、製造工場の廃材屑、設備、機械等の廃棄による物
・鉄道、造船、自衛隊等の払い下げ品と市中の老廃物
・リサイクル法の家電類(テレビ・冷蔵庫・洗濯機・エアコン)
・自動車リサイクル法の廃自動車

 一般家庭や事務所、また生活空間に発生する粗大屑等とあらゆる所で発生しております。これらを鉄・スクラップ加工処理業者が直接回収したり、回収業者による持ち込みまたは工場より直接持ち込まれた物を選別、加工処理し主に電気炉・メーカーの製鋼原料として販売されています。一部については、台湾、韓国、中国等にも輸出しております。

 2.選別加工処理方法としては、ギロチンによる切断、プレスによる圧縮処理、シュレッダーによるは材処理等が主です。(メーカー規格に処理される)ちなみに、回収処理コストは t当り7,000~8,000円かかります。

 3.販売価格、仕入価格は変動性であり販売価格の決定は、商社、電気メーカーにより決定されます。また品質により上級屑~下級屑とランク付けされ、上級と下級の価格差は約6,000円前後あります。
 我々加工処理業者は、メーカー価格よりコストを差し引いた分の残りを仕入価格の目安にしております。ちなみにスクラップが多量に出るところは高く、少ない、安く買うのが通例であります。

 4.続いて、戦後の鉄スクラップの変動状況と現在の状況、今後の見通しについて私の考えを交えてお話させて頂きます。

 一番最初の大きな変動は、1950年後半~1953年前半です。このときは朝鮮特需。
38度線で戦争開始(1950年6月25日)この年の後半から値上がりし、当社 t当り5,000円前後の物がわずか3カ月で25,000円に高騰した。

 当時の大工の日当は1日180円で、鉄屑は1キロ24円ですので、非常に高かったと思われます。

 その後、1955年から始まった神武景気にのり、丸棒が9,500円、鉄屑35,000円の戦後最高を記録し、1957年後半には15,000円に暴落(役5カ月で20,000円下がる)、その後15,000円~20,000円前後で安定していたが、1971年のニクソンショックによる円高で(約52円の円高)戦後最安値の10,000円割を経験するが、1972年後半に田中角栄元総理による日本列島改造論で出版され、翌73年より土地の投機、買占め、売り惜しみがあり35,000円まで値上がりしたが、その後一度10,000円の値下がりを見るもすぐ値上がりし、1974年10月戦後最高値45,000円をつけるが、わずか2カ月で20,000円の暴落を見る。

 その後1975年10月には15,000円まで値下がりし、その間の値下がりは1年で約30,000円の値下げである。

 1977年~1980年にかけ第二次石油ショックがあり、40,000円の高値をつけるが、すぐさま値下がりしその後20,000円~25,000円前後で安定している。

 1985年9月のプラザ合意により1986年の円高が進行し、円高不況により鉄屑は15,000円まで値下げになる。その後バブルの絶頂と共に20,000円台を回復するが、バブルの崩壊と急激な円高もあり(80円割)1998年 平成10年、10,000円の大台を割り込み、2001年(平成13年)6,000円台の戦後最安値を付け、鉄・スクラップ業者の死活問題にもなった(この年当社は8月水海道市にヤード移転)

 その後、アジア向けの輸出の拡大や、2003年にはBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国)の新興市場の拡大により、世界同時好況が始まり、2006年には25,000円台を回復し、2007年資源エネルギーが急騰し年末には35,000円台をつける。

 この年は鉄屑だけでなく、ステンレス屑 ㌔500円、銅屑 ㌔1,000円。原油に至っては100ドルに迫る勢いでした。(この年の8月、サブプライムローンの問題)2008年も年初めより値上がりし、7月に史上最高値70,000円をつける(原油147.2ドル)もわずか3カ月後の10月末には、10,000円まで値下がりし大損しました。

 情勢によって価格が変動し、儲かる時もあれば大損をするときもある業界であり、生活していく中では必要なものなので、価格に左右されない平穏な商売になればなと感じております。

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