衣笠 絵理様 2015.4.1

 水海道ロータリークラブでお話しさせて頂くこと光栄に思います。
 近所の子供が少しだけ特別な経験をしたので聞いてみよう、と温かい目で最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。

 私が水泳を始めたきっかけは、兄の水嫌いを克服するため、一緒に4歳からスイミングスクールに通いました。いつの間にかどんどん上達していく兄をうらやましく思っていました。私はとても負けず嫌いだったので、兄の背中を必死に追いかけていたのです。

 私も試合に出るようになり、気付けば自分自身の記録に挑むようになっていました。誰かに負ければ悔しい気持ちもありましたが、ベストタイムを更新できれば満足しました。1秒でも0.1秒でも早く泳げることが楽しくてしょうがないと言う感覚でした。

 小学校の卒業文集に「アジア大会、オリンピックに出場」と書きました。大きな目標を掲げ毎日の小さな目標を設定し、ひとつひとつ鍛錬を重ねました。オリンピックに出場するという人もいますが、夢で終わることがないよう日々精進し『願えば叶う』と信じました。

 しかし兄を超えられない自分に落胆し、高校進学を機にスイミングスクールを変え、コーチの家に下宿させてもらい水泳一色の生活が始まりました。高校1年生で日本代表に選ばれ“広島アジア大会”に出場し、3位入賞で表彰台に立ちました。

 会場にいるすべての人や、テレビなどで応援してくれている人がこんなにもいて祝福してくれていることに初めて気づき、歓喜の涙を流したことを今でも忘れません。この経験があったおかげでオリンピック予選は通過点、メダルを獲ることを決意し1日の半分はプールで過ごし、1年の半部以上は海外での強化合宿、試合となりました。

 その結果、無事にオリンピック代表に選ばれました。そこからは周りの期待が嬉しくもあり、怖くもあり、取り巻く環境の変化に戸惑いました。“日の丸”の重みを改めて実感したのかもしれません。

 いざオリンピックの選手村に入ってみるとまるで夢のような所でした。世界で活躍する一流選手との生活から、自分を見失いそうになりながら舞い上がってしまったことを思い出します。レースではまず、決勝進出を目標にし、個人種目7位、リレーで4位に入賞しました。惜しくもメダルを逃しましたが、自分の結果に満足し後悔なく自分の力を出し切れました。

 しかし、競泳競技でのメダル獲得がなかった為、マスコミからのバッシングに選手たちは心を痛めました。全力で頑張ってもメダルを獲らなければ認められない。それがオリンピックなのかもしれません。

 その後、大学4年間は日本代表に選ばれて頑張っているつもりでも以前のように自分を追い込むことが出来ませんでした。気持ちも目線も変化している自分に気付くことが出来ず、周りからの忠告にも耳を傾けられませんでした。燃え尽き症候群だったのかもしれません。

 今思うと少しだけ悔いが残ります。

 水泳人生の19年間を振り返ってみると辛いことが沢山ありました。しかし、それ以上に応援してくれた方々や支えてくれた家族、友人の絆、出会いが私の財産になりました。両親は私の進む道を何も言わず見守り続け、自由にさせてくれました。

 世界中の試合会場には応援団を引き連れて私を応援してくれました。心強く、感謝し、尊敬しています。私も4人の母親になり考えさせられました。両親を見習いたいと思います。

 最後になりましたが応援して下さった方々にこの場をお借りいたしましてお礼申し上げます。有難うございました。