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本日はお招きいただき、ありがとうございます。埼玉県の川口西ロータリー・クラブの片岡暎子です。
瀬戸さんとリスボン国際大会でお目にかかり、本日ここで卓話するという縁につながりました。ロータリーのおかげで、知り合いを広める機会に恵まれます。
私、2009年の11月に36年間勤めた国際ロータリー日本事務局を定年退職いたしました。在職中の大半は翻訳室に勤務しました。私は日本での最後の翻訳室長となりました。
財団室を試験的にスイスと日本で作る、と言われ、最初の財団室長になりました。現在は世界7か所の事務局すべてに財団室があります。 |
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財団室はロータリアンと接触する機会が多いため、ロータリー・クラブに入会しました。実際にクラブ会員になりますと、私が本から学び、頭で思い描いてきたロータリーとは異なる現実に直面しました。ロータリー・クラブは穂医師活動だけでなく、クラブの運営も必要です。ですから、会員増強に邁進せざるをえないのだと痛感しました。 |
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2010年規定審議会は、決議23-34の第1項を奉仕の哲学の定義にしようと決議しています。決議ですから強制力はありません。これはロータリーの根幹であると信じていますが、仕事から離れて肩肘はらず訳文を読むとおかしくないかな、と思う箇所にぶつかりました。
利己的な欲求と義務およびこれに伴う他人のために奉仕したいという感情とありますが、これで意味が通じるだろうかと思いました。
利己的な欲求と、他の人のために奉仕しなくてはならないという義務感、また他の人に奉仕したいと言うおさえきれない気持ちではないか、翻訳室長だった時に直しておけばよかったと思っています。 |
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ロータリーのホームページが8月下旬に一新されていますが、皆様、なれたでしょうか。ロータリーのホームページにロータリアンの意見やアイディアを募るフォーラムがあります。このフォーラムは英文のみですが、いろいろな人が書き込みを入れていました。 |
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ポール・ハリスが、1911年のロータリアン誌創刊号で、書いたエッセーでこう言っています。私が、大きなコロシアムに立ち、あらゆるロータリアンを前にして一言述べる機会に恵まれたとしたら、私は何のためらいもなく、あらん限りの声で叫ぶでしょう。『寛容!』と。
ポール・ハリスの寛容は、日本人の我慢と言う心情とそれほどかけ離れていないと思います。ですから、ロータリーが日本に広がり、根を下ろしたと思います。今回の地震で日本の我慢が際立ったということは、ロータリーの心も日本に生き続けているような気がしました。 |
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ロータリーは、クラブの集合体という史上前例のないものです。自らの運命に責任を負う創意あふれる人が集まった、ということを除いて、ロータリーには何のルールもありません。羅針盤の発明前、船乗りが星を見ながら、道の海に乗り出したように、ロータリーの先駆者たちは、大昔からの人間の英知とも言うべきルールを守り、危険をはらむ道の厳しい状況の中で巧みに船を進めてきました。
私たちガこれからも良識ある寛容という確かな航路、また他人の信念を思いやる心から逸脱しないことを願っています。
良識がよりどころという連合体は素晴らしいと思います。ロータリーの規定は分かりにくいとよく言われます。ですが、根底は良識に尽きると思います。
翻訳は着物の柄を裏から見るようなものだと言われます。おおよそのことは裏からでも分かります。初めて、この英文に接した時の感激をどう他の人に伝えられるか、難しいのですが、このときの気持ちが忘れられずロータリーと離れずにおります。
但し、ポール・ハリスがこの文章を書いたのは1911年である、ということも念頭におかなければなりません。この後、2度の世界大戦があり、国際団体のルールと言うものが築かれていきます。ロバートの議事規則です。ロータリーは随分複雑となり、変わりました。
ロータリーの未来はどう進むかわかりませんが、原点はいつまでも忘れずにいたいと思っています。
ご清聴ありがとうございました。川口は近いとは言えませんが、時間があれば、ロータリー・カフェか、ロータリー・クラブ例会にお立ち寄り下さい。 |