稲葉酒造場 稲葉芳貴様 2013.2.20
「新たな視点での酒造り」 | |
1. 稲葉酒造場の歴史 私は、1999年より酒造りをし、今年13年目を迎える。酒蔵は1867年創業。私で6代目になる。酒名の男女川は、筑波山の男体と女体山の間を流れる川の名で、「小倉百人一首」の陽成院に詠まれた恋の歌としても知られている歌 2. 酒蔵の継承 稲葉酒造場は、第二次世界大戦後の高度成長期の繁栄の時代以降、酒造業界の変遷の中で、ほとんど江戸時代に創業したままの姿や規模。 しかし、地元酒の需要低迷・価格競争による利益率の低下、高齢化による杜氏・蔵人の引退・後継者の不在などの悪条件が重なり五代目蔵元の父で酒蔵を閉じるしかないと考えていた。そんな中、14年間勤めた会社を退職し、2002年の年明けに600リットル規模の酒母タンクにわずかな量の自醸酒を仕込むことに成功。 3. 新たな酒蔵の方向性の確立 活用資産の確認・・・・蔵の特徴や強みをプラス思考で考えた。 方針・・・・蔵の個性を明快に描き出せたことから、蔵再生のイメージや考え方を自然なかたちでできた。 「新たな産業構造を想定した蔵再生」:蔵を廃業に追い込んだ元凶である現代の酒の流通システムに対し、それ以前に普遍的であった古い産業のかたちを現代に適合するかたちに読み替え、意識的に取り込みながら蔵の強みとして活かしていく。 「コントラスティブ発想の導入」:蔵の存続・発展に対し阻害要因と考えられてきたものを、全て蔵の個性や強みととらえ直し戦略化する。 4. 酒蔵ミュージアムとしての整備 蔵の整備:日本酒の醸造場を、酒を製造する工場ととらえるのではなく、多くのお客様と「酒造り」という日本古来の豊かな文化性に満ちた「コトづくりを楽しみあう場」として設け直していくとともに、蔵を包む自然環境や歴史的背景にも配慮した調和性のある蔵づくりを志向した。 5. 純手作りの酒造り 職人を一切使わない酒造りを前提に、作業の負担が比較的軽い小型タンク6基を設置し、少人数でも安全かつ負担感なく仕込めるようにレイアウトの工夫をおこなった。 6.「身土不二」の考えに立った酒と食の提供について 2009年からは、酒蔵の一部を改修し食の提供できる場を設けた。「地元の旬の食品や伝統食が身体に良い」の考えに立ち、つくばの旬の採れたて野菜を使用。調味料も醤油・味噌ともに天然醸造のものをこだわり使用。 7.里山環境と地場の生業を守る環境拠点としての地域貢献 蔵は単なる製造工場ではなく、グリーンツーリズムの可能性を秘めた観光拠点としても生かせることが実感できた。蔵の存続は、周辺の歴史・文化的風景の保全にも貢献しており、つくば市、茨城県の貴重な地域遺産となることが期待していきたいと思う。 8.今後の稲葉酒造場について 星ふる里蔵はメディアにしばしば取り上げられ、少しなりとも知名度が上がってきている。自醸酒の醸造を再開してから12年目の現在、生業の拠点である蔵を維持・整備しながら、一家の生計が立てられる程度の利益が得られるようになっている。 しかし全て手作りのため、生産量は限られており、現状のままでは、画期的な発展は望めない。通年で仕込みが出来るようにするか、一仕込の量を増やす等の生産体制の整備が求められるが、蔵の基本コンセプトとの不一致や初期投資の負担リスクなどから、慎重な検討が必要である。 また、蔵の存亡は、蔵元一人の働きにかかっており、不安定である。有能な常勤の仕込み職人や販売スタッフ、後継者をじっくりと育てていく必要ある。 第2の成果は、大手流通システムや酒販店を通さなくても、蔵の直売により、酒造業の経営が可能であることが確かめられたことである。人はかならずしも「酒」という物質的なモノだけを求めているわけではなく、蔵を訪ね蔵元と交流するという物語的な価値を求めている側面もあると思われる。 丁寧に手入れがなされた酒蔵を訪ねる人が増え、またその人たちが高価な手作りの酒を好んで買ってくれ、リピーターになり、またくちコミでファンが広がっていくという好ましい循環が形成されつつある。 今後もこのような視点で代々続く酒蔵を維持し発展させていきたい。 |
|