予科練平和記念館館長 糸賀富士夫様 2010.3.24

「予科練平和記念館の概要」
 [阿見町の紹介]阿見町は、人口約47,738人(2月1日現在)の町で、茨城県の南部に位置し、首都東京や県都水戸、さらには成田国際空港などへの交通のアクセスも容易であるなど、地理的条件に恵まれた地域です。

 また、日本第2位の湖である霞ヶ浦に面しており、筑波山などのすばらしい景観を有した水と緑の豊かな町です。

 現在の阿見町は、昭和30年4月に旧阿見町、朝日村、君原村、舟島村が合併して誕生しました。阿見町はこの合併を契機として祭発展を図ることとなり、高度経済成長の中で開発計画に基づく、積極的な企業誘致政策をしてきました。

 現在、首都圏中央道路自動車道(圏央道)が阿見地内まで開通し、2つのインターチェンジが整備されました。

 町は圏央道の整備効果を最大限に活用し、福田工業団地や筑波南第一工業団地、さらには東部工業団地への企業誘致を図るとともに、圏央道阿見・東インターチェンジ周辺開発や市街地の区画整理事業など、都市基盤整備事業の実施により、純農村から都市と田園が調和した町へ発展し現在に至っています。

 また、茨城大学農学部や茨城県立医療大学など、国・県の教育施設が設置されているほか、町総合保健福祉会館や特別養護老人ホーム、保育所、あるいは東京医大霞ヶ浦病院、医療大学付属病院をはじめとする福祉・医療体制も充実しています。

 さらには、町民の学習意欲の活性化を図るため、一人「いち学習、いちスポーツ、いちボランティア」のもと、「いきいき学びの町 AMI」宣言を行い、生涯学習や社会体育活動によるまちづくりを推進しています。

 [阿見と予科練]阿見町は大正時代末期に、広大な阿見町の地に霞ヶ浦海軍航空隊が設置されて以来、昭和14年には海軍飛行予科練習部、いわゆる「予科練」が神奈川県横須賀市の追浜から移転し、翌年、昭和15年には土浦海軍航空隊が予科練習生の教育・訓練機関として設置されるなど、海軍の町として全国的に知られるようになりました。

 このような歴史的な背景の中で、永く海軍の町として歴史を歩んできた阿見町には、予科練出身者をはじめ、予科練関係者、遺族等によって、尊い命を失った予科練戦没者の慰霊と真の平和を願い、予科練揺籃の地である土浦海軍航空隊跡地(現 陸上自衛隊武器学校)の一角に、雄翔館(予科練記念館)が建設されています。

 この施設は、旧海軍飛行予科練習生生存者とその家族からなる、(財)海原会による全国唯一の施設として、戦没者の遺書・遺品を中心とする貴重な資料が展示され、今なお、全国から多くの来館者が訪れております。

 しかしながら、戦後63年が経過し、予科練出身者や困難な時代を懸命に生きた人たちが減少していく中で、予科練をはじめとする町の貴重な歴史の記録の恒久的な保存に危惧が生じています。

 このため、阿見町では貴重な予科練の歴史や戦史の記録を後世に正しく伝承し、平和の尊さを学び伝えできる施設として「予科練平和記念館」の整備を進める事にいたしました。